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里の秋;竹田の子守唄

已有 7124 次阅读 2009-10-8 21:15 |个人分类:语言文学|系统分类:人文社科| 里の秋;竹田の子守唄

  里の秋 (さとのあき) 链接 kuwo  voice2  more 日语辞书weblio

静かな 静かな 里の秋   お背戸(せどに 木の実の 落ちる夜yo
ああ
母さんと ただ二人 栗(くり )の実mi niてます いろりばた(爐邊)
明るい 明るい 星の空  鸣き鸣き 夜鸭(よがも)の渡る夜は(wataru )
ああ
父さんの あの笑(えがお) 栗の実 食べては 思い出す
さよなら さよなら 椰子yashiの岛   お舟funeに ゆられて 帰られる [揺る]
ああ
toさんよ 御无事gobujiでと  今夜も 母さんと 祈ります

/背戸(せど,家の裏口,房子的后门。/み[実];にる[煮る·烹る] いろり[居炉裏·囲炉裏] いろりばた (爐邊) 炉端 /無事【ぶじ】平安无事;无聊闲散。/ とうさんよ ご无事でと /

静静的故乡之秋 这一夜 房后树上的果子落下
啊,我和母亲两个人,围在地炉边 煮着栗子
晴朗的 星空下  野鸭鸣叫着飞过
啊,吃着栗子想起 父亲的笑脸,再见啦 椰子之岛,
摇摆的小船 载着踏上归途的父亲
今夜,我和妈妈还在祈祷  父亲平安地归来

歌曲鉴赏:

里の秋』(さとのあき)は、日本の童謡。作詞は斎藤信夫、作曲は海沼實童謡歌手川田正子が歌い、1948年(昭和23年)、日本コロムビアよりSPレコードが発売された。1941年(昭和16年)由斎藤信夫作词、海沼実作曲的《星月夜》,1945年二次大战结束后改写成《里の秋》,描写的是母子在家祈求战后南方的父亲平安归来的场景。台湾著名歌星邓丽君演唱的歌曲《又见炊烟》的伴奏正是取自于此。

《又见炊烟》  (邓丽君)    voice 和风   more  百科

  作词:庄奴  作曲:海沼实

又见炊烟升起 暮色罩大地  想问阵阵炊烟 你要去哪里
夕阳有诗情 黄昏有画意  诗情画意虽然美丽 我心中只有你

又见炊烟升起 勾起我回忆  愿你变作彩霞 飞到我梦里
夕阳有诗情 黄昏有画意   诗情画意虽然美丽 我心中只有你 3

《竹田の子守唄》 (山本潤子) voice  more  voice和风

moりもいやがる 盆bonから先[さき]にゃ  雪もちらつくし 子も泣くし
已厌倦照顾孩子 盂兰盆节之前 天上飘起细细的雪花,娃娃哭个不停。/にゃ=には
盆が来たとて 何 うれしかろ    かたびら[帷子]はなし 带はなし
盂兰盆节到了 有啥好期盼(高兴)的呢。 既没花衣裳,也没红腰带/たい,おび/  
この子よう泣く 守りをばいじる   守りも一日 やせるやら(瘦)
孩子总是哭泣 照顾他更辛苦  /又是一整天,愁煞(我)这个小保姆。又瘦了
はよも行きたや この在所こえて  /在所越えて
只想快些离开,离开这让人煎熬的地方。/ざいしょ[在所] こえる[超える]
向こうに 见えるは 亲の家 向こうに见えるは 亲の家
 
远远地望去,亲人所在的家。 /むこう[向(こ)う。/おや[親  oya no uchi/ie

歌曲鉴赏:

《竹田の子守唄》(竹田的摇篮曲)是流传于日本大阪府、京都府的民谣,曲调婉转悠扬,朗朗上口,迄今已被无数演唱风格不尽相同的歌手演绎过,这首歌是京都地方民谣,曾经被翁倩玉翻唱成《祈祷》。

盂兰盆节要到了,照看孩子的保姆日渐发愁。这娃娃成天哭,欺负(我)这小保姆。

/ちらつく,纷纷地落,霏霏地下。(少量の雨や雪が降る)/ ko. /よう=よく经常 はよも=はやくも,早く,早早。快,速。Looks like Kansai-ben(关西弁,关西腔)/守り【もり】看守。守卫。看孩子的人。保姆。/守り·護り【まもり】守护;守卫;/いやがる,不情愿./ [守り·護りばいじる,掇弄/[帷子]かたびら;/ 帯,おび;たい /おぼん[お盆],うらぼんえ[うら盆会·盂蘭盆会。/やせる[痩せる、瘠せる] /やら:(副助)〔疑问・不定を表す语に付いて〕。不确実であるという意を表す。/やら、~やら表示有些乱糟糟的感觉。“……啦……啦”。///いじる いじる that means 困らせる、いじめる(4). A baby bullies a kid? No, it upsets him or her. をば is rengo, 連語. It seems to work to emphasise an object. をば( 連語 )格助詞「を」に係助詞「は」が付き、「は」が濁音化したもの〕 動作・作用の目標・対象など、「を」の付いた語を「は」によって取り立てて強調するのに用いる。/いじる いぢる 【弄る】① (必要もないのに)さわったり、動かしたりする。もてあそぶ。 「羽織のひもを-」 ② 遊びでする。④ 弱い者をいじめる。困らせる。

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        《祈祷》   voice more   作词:翁炳荣  

让我们敲希望的钟呀 多少祈祷在心中
让大家看不到失败 叫成功永远在

让地球忘记了转动呀 四季少了夏秋冬
让宇宙关不了天窗 叫太阳不西冲

让欢喜代替了哀愁呀 微笑不会再害羞
让时光懂得去倒流 叫青春不开溜

让贫穷开始去逃亡呀 快乐健康流四方
让世间找不到黑暗 幸福像花开放

不再有悲哀 不会没有爱 幸福直到永远
让我们敲希望的钟呀 多少祈祷在心中

让大家看不到失败 叫成功永远在
让我们看不到失败 叫成功永远在

     此歌 曾被封杀,缘由要从日本“被歧视部落”的问题说起。  
  被歧视部落分散于日本各地,曾聚居着从事屠宰、丧葬等“不洁”行业的“贱民”。进入现代社会之后,这些职业逐渐变形或几近消失。但普通日本人对“贱民”后代以及贱民部落所在的地区,仍抱有根深蒂固的歧视。位于京都市伏见区的竹田就曾是众多被歧视部落的所在地之一。
  竹田这个地名本身即让人联想到“部落”的存在,歌中的”在所”一词,据说曾经是贱民部落的别称之一。媒体唯恐因相关话题处理不慎而受到歧视与被歧视双方的攻击。最好的解决办法就是避而不谈。这一避讳,把一首好歌也打入了冷宫。  
   也许因时代进步,抑或是常年斗争的结果,1990年代以后,《竹田の子守呗》得以重见天日,开始被重新收录进各种民谣精选集之中,还有电台制作了专题节目,讲述这支歌被封杀的前因后果。

  おぼん[お盆],うらぼんえ[うら盆会·盂蘭盆会]の略語。お盆(旧暦7月の半月)。

盂兰盆节是在日本仅次于元旦的盛大活动,原来是佛教的法式。盂兰盆是“Ullabana”的音译略词,本意是“倒悬之苦”,为了拯救这个苦难而进行的法式。据“盂兰盆经”的解释,说是目连尊者为了拯救陷入饿鬼道的母亲,按照佛教的教义,在7月15日(阴历),供奉各种食品为供品,以这个法式救出了母亲。

  这个活动在很古以前在印度和中国盛行,在日本则从飞鸟时代开始进行。后来传播得很广泛。家家都设魂龛、点燃迎魂火和送魂火,成为祭奠祖先的日本特有的活动。现在是在阳历的8月13日前后迎接祖先的灵魂,和活人一起生活4天,16日以送魂火的方式把祖先的灵魂送回阴间。京都的“大文字烧”就是这个活动的顶峰吧。

  お盆はまた盂蘭盆と呼ばれ、日本でお正月に次ぐ大きな行事です。もとは仏教の行事でした。うらぼんはUllabanaの音訳を略称したもので、本意は「倒懸(逆さづりの苦)」と訳し、この倒懸の苦を救うために法会を行うのでした。「盂蘭盆経」等によると、目連尊者が餓鬼道に落ちた母の苦を、仏の教えにしたがって、7月15日(旧暦)に種々の食べ物を供え、この供養で親の苦を救ったと言われています。

 この行事は古くからインドや中国で行われていましたが、日本でも飛鳥(あすか)時代から始まっています。後に広く伝わり、精霊棚を飾り、迎え火送り火を焚いて先祖を祭る日本独特の年中行事となりました。いまでは8月13日前後に先祖の霊を迎え、3日間家族と生活し、16日に送り火であの世に送り返します。京都の大文字焼きはこれら行事の最高でしょう。

相关链接    Lingo-music



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